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初代ノーフォーク公ジョン・ハワード(John Howard, 1st Duke of Norfolk, 1425年頃 - 1485年8月22日)は、イングランドの貴族、政治家。 リチャード3世を支持して1483年にノーフォーク公爵に叙せられたが、1485年にはリチャード3世ともどもボズワースの戦いで敗死した。ノーフォーク公爵ハワード家の祖にあたる。 == 経歴 == 1420年から1430年頃、サー・ロバート・ハワードとその妻マーガレット(初代ノーフォーク公爵ノーフォーク公トマス・モウブレーの娘)の一人息子として生まれた。 1452年から1453年にかけて初代シュルーズベリー伯爵ジョン・タルボットのガスコーニュ遠征軍に従軍し、百年戦争最後の戦いであるカスティヨンの戦いに参戦した。 1455年にはノーフォーク州から選出されて庶民院議員となった〔〔。 1461年3月に即位したヨーク派のエドワード4世を支持し、ランカスター派と戦った。タウトンの戦いにも参加した〔。エドワード4世の寵臣となり、同年にナイトに叙されるとともにノーフォークとサフォークのシェリフ、またノリッジ城との城守(Constable)に任じられた〔〔。さらに1467年にはオックスフォードシャーのシェリフ、1467年から1474年にかけてはを務めた。1470年にはハワード男爵に叙せられ、1472年にはガーター勲章を受勲した〔〔。しばしばフランスへの外交使節にも登用された。 1483年のエドワード5世の退位問題の際には追い落とす側のリチャード3世を支持したため、その功で同年6月ノーフォーク公に叙せられた。臣民への公爵位授与は彼が最初であった。また軍務伯、などの重職に任じられている。さらに1484年頃には貴族院の決定により母方のモウブレー家からによる爵位(男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能)であるモウブレー男爵とセグレイヴ男爵を継承した。 しかし、1485年5月22日のボズワースの戦いでリチャード3世と共に戦死した。テッドフォードの小修道院に埋葬されたが、後の宗教改革の際にどこか(恐らくフラムリンガム教会の孫・トマス・ハワードの墓所だろう)に移葬されてしまった。彼の墓所は分からなくなってしまったが、最初の妻キャサリン・モリンズの真鍮記念碑だけは今でもサフォークで見る事ができる。 死後、ノーフォーク公爵はヘンリー7世に剥奪され、子のトマスもロンドン塔に投獄された。後にトマスは釈放されたが、ノーフォーク公を取り戻すには1514年を待たなければならなかった。 ボズワースの決戦前夜にトマス・スタンリー男爵とノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの中立を暗示するメモが手元に残されたと言われるが、真偽は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ハワード (初代ノーフォーク公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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